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オオカミがえり

知識タイトル

~オオカミがえり~


国道168号線、阪本市場より天辻峠に向かう時、ダムからはずれ、谷に入っていきます。この谷の名前は「損保谷」。

損保地図

名前の由来は知りませんが、結構深い谷間の為、危険であり、「保障を損なう」という意味で付けられたのではないかと推察。

この谷の入口付近に滝があり、その上にある橋は「狼橋」です。上の地図の赤い印のところ。

この滝の名前は、一般的に「雨乞い滝」と言われてます。これに関しては歴史散策シリーズに載せてますので、ここでは省略しますが、この上の橋の名前の由来が気になっていたのですが、やっと判明しました。

 狼1

この写真は「狼橋」下の「雨乞い滝」ですが、写真でも分かるように、完全なV字谷です。

損保谷でも一番幅の狭い険しいところで、狼もこの先には降りてこれず、引き返したことから「狼がえり」と言われた場所だそうです。

橋の名前はここからの由来と思われます。

険しいから引き返した以外に考えられるのは「送り狼」説という私の私見。

狼は、自分の縄張りに入ってきた人間を監視する為に、付いて来る習性があります。 その時、人間が倒れたりするとチャンスとばかり襲ってくるという説もありますが、人間から何もしないと襲ってくることは無かったようです。

逆に付いてきてくれる事により、他の獣から守って貰える、有難い習性なんです。

「送り狼」という言葉は、最後に豹変して女性を襲うような意味で使われますが、油断を見せなければ、帰路の安全を狼(男)に保障してもらえる訳です。
 雨乞い滝2

こうして、人に付いてきた狼が人里に近づき、自分の縄張りから外れてきたこの辺りで引き返したことに由来するのではないかと推察。

「狼がえり」、漢字で書けば「狼返り」。

狼が戻ってしまうことによる安全の保障が無くなる場所、つまり「損保谷」。

少々出来過ぎですが、うまく話しがまとまりました。

この滝の下には、昔の阪本の中心であった古野瀬がありました。(右の写真は滝のアップ写真)

狼橋から滝の方に降りていく道があり、結構いい散策コースですので、写真撮影の好きな方には絶好の場所です。

きちっとした靴を履いておれば、滝を下り、ダムサイトまで行けます。 ダムの水量が少なければ古野瀬集落跡にも行けます。

「犬神」様はオオカミのことで、農作物を荒らす野生動物を食べることで神聖視されてました。 損保谷は「雨乞い滝」と「狼」という二つの守り神的存在だったようです

 日本狼

このオオカミ、日本には北海道にいた「エゾオオカミ」と、それ以外にいた「日本オオカミ」で、写真は東大に保存されている日本オオカミの貴重な剥製です。

 

 

明治38年(1905年)、東吉野村小川で捕らえられたのが、地球上最後の日本オオカミでした。

オオカミ記念碑

鹿を追って村に入ってきた為、筏師達が棒で撲殺、放置してましたが、イギリスの動物探検隊が買うとの噂が広まり、かなり腐敗が進んでいたのを担ぎ込み、8円50銭で買ってもらったそうです。 現在、その骨などの標本は大英博物館が所蔵してます。(写真は小川村のオオカミ最期の地の記念碑)

オオカミ絶滅の原因は色々言われてますが、明治になって入ってきた西洋犬のジステンバーが広まった説が有力。

山の草食動物を食べるオオカミがいなくなり、結果として、鹿・猪が増え、大きな被害を及ぼしてます。 

その為、外国の狼を導入し、復活させようという計画もあるようです。

 

 

★「篠原踊」について
 大塔の有名な芸能である「篠原踊」は狼に由来する踊りだということなので、大塔村史より抜粋して紹介します。
「昔、篠原の付近には猪、狼などの猛獣が多く棲息して村人達に多くの害を与えたが、その中に特に大きな狼がいた。 この狼から受ける被害は大変大きいので、村人達は退治に出かけたが狼の姿は見えず終日かけ廻って疲労の極に達した時、突如この狼が現れ、人々の狼狽している時にその指揮者たる村の長を食い殺したので人々の意気は消沈した。 しかし、その被害は益々募るばかりであるので最後の大評定の結果、沢田屋嘉門という者の提唱によって氏神様に祈りをおこめ、村中総出で踊り、神慮を慰めて狼退治の成就を祈願した。
この結果、遂にその目的を達し、平和な村にかえった。 この神慮を慰め奉った時の踊りが篠原踊りの始まりである。」

★狼は人を襲うことは無く、狼がいることで、畑を荒らす獣を追い出してくれた狼への感謝の踊りだという説もあるようです。
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